岐阜県可児郡御嵩町

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正規名称:御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』

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    関ケ原の戦いで最も武功をあげた男 可児才蔵は、御嵩町出身と伝えられる武将です。その出生については御嵩町の古刹・願興寺の寺記『大寺記』に記されています。願興寺を出た才蔵は諸国を流浪し主君を転々としましたが、最終的には東軍・福島正則に仕え、天下分け目の関ケ原の戦いに先陣の福島隊として出陣しました。関ケ原の戦いで才蔵は笹の指物を背負って戦い、討ち取った敵の首に笹の葉を咥えさせました。戦いの後、全ての首を確認した結果17の首から笹の葉が見つかり、これを知った徳川家康から称賛され、『笹の才蔵』の通り名を与えられたとされています。その後も正則に仕え、正則が関ヶ原での功績により安芸国広島藩へ移封される際にも同行しました。晩年、才蔵は才入に改名して仏門に入り、広島城の東にある矢賀山に所有していた山荘・竹葉軒の跡に、才蔵寺を建てました。才蔵は若いころから愛宕権現を信仰しており、自分がその縁日に死ぬことを予言していました。そして予言どおり、縁日にあたる6月24日に身を清め、甲冑と薙刀を身に着けた才蔵は、椅子に座ったまま息絶えました。才蔵の墓標は矢賀山の麓、通称「才蔵峠」の脇に建てられ、心ある武士は馬を下り、水を供え、花を手向けたと伝えられています。毎年、御嵩町では可児才蔵をテーマにしたイベントの開催や才蔵に関するお土産品の販売も行われています。お土産品は御嵩町の観光案内所「御嶽宿わいわい館」にてお買い求めいただけます。

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    基本情報

    名称
    御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』
    所在地
    〒505-0116 岐阜県可児郡御嵩町

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      御嵩町ゆかりの戦国武将『可児才蔵』