岐阜県羽島郡笠松町

[名古屋・三河湾・美濃・飛騨岐阜・関ヶ原岐阜・関ヶ原]

史跡・旧跡

ユニバーサルID:jp-tourism/0031e445-ade0-4aa2-a2c1-bbf2467b9f4c

コメノノタタカイアト

正規名称:米野の戦い跡

米野の戦い跡

更新日:

    • 史跡・旧跡
    • 駐車場有り
    • おすすめ
    関ケ原の合戦 前哨戦 慶長5年(1600年)、池田輝政を中心とした東軍1万8千に対し、西軍3千のみの布陣。河田木曽川渡河の戦いの後、東軍は木曽川を渡り米野に上陸し西軍と激突しました。?戦いは、東軍大勝利に終わりました。これを米野の戦いといいます。?池田勢の一番槍の手柄を立てた大塚権太夫は、岐阜勢の武将を討ち取りましたが、飯沼勘平長資に一騎打ちを挑まれ討ち取られました。?討ち取った飯沼も、池田勢の武将に討たれました。?この後、戦場は更に西へと向かい関ケ原の戦いへと進みます。尚、この戦いで戦死した飯沼勘平長資(大垣 池尻城主の子)の墓が、米野の戦い跡の碑より北東約500mの場所にあります。(岐阜県羽島郡岐南町平島1丁目)

    周辺の宿泊予報

    基本情報

    名称
    米野の戦い跡
    所在地
    岐阜県羽島郡笠松町米野

    詳細情報

    アクセス
    JR那加駅 車 12分
    駐車場
    なし
    文化財
    市区町村指定史跡

    マップ