群馬県高崎市

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史跡・旧跡

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タカサキジョウシ

正規名称:高崎城址

高崎城址

更新日:

    • 史跡・旧跡
    慶長3年(1598)、徳川家康が井伊直政に命じ、開通直後の中山道の要衝和田城跡に築かせた平城で、元和5年(1619)に入城した安藤氏三代77年のうちに全城郭が完成した。安藤氏は寛永10年(1633)に起きた徳川忠長幽囚自刃事件の責めを問われ重長、忠長は切腹を命じられた。現在は外堀の一部がわずかに残る。◎井伊直政(1561-1602)家康の家臣で徳川四天王の一人。彦根藩井伊家の祖。父は遠州井伊谷の豪族で今川氏の家臣であった。赤備隊として有名。◎徳川忠長(1606-32)徳川秀忠の三子で、駿河・遠江・甲斐・信濃のうち五五万石を領し、駿河に住んだ。兄家光に対抗したため罪に問われ自殺した。 時代 江戸

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    基本情報

    名称
    高崎城址
    所在地
    〒370-0829 群馬県高崎市高松町

    詳細情報

    アクセス
    JR高崎駅 徒歩 15分 関越道高崎IC 車 15分

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