特別寄稿 丁野 朗 氏

旧鎮守府4市の日本遺産とその魅力

公益社団法人日本観光振興協会総合研究所・顧問 丁野 朗氏による特別寄稿

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どんな地域にも独自の歴史、文化があり、それに関連した産業が発展をしてきました。それら地域の物語、即ち“ストーリー”を文化庁が認定した「日本遺産」をご存じでしょうか?「日本遺産(Japan Heritage)」は、2022年12月末時点で全国104の地域ストーリーが認定されています。 文化観光の分野で日本遺産の設立や日本文化の継承と発展に長年携わり、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所の顧問でもある丁野 朗(ちょうの あきら)氏による日本遺産をテーマとした連載寄稿・第3弾。明治時代に海軍の「鎮守府(ちんじゅふ)」が置かれ、戦後は平和産業港湾都市として再出発した旧軍港4都市(横須賀、呉、佐世保、真鶴)にまつわる地域ストーリーをお伝えします。

旧鎮守府の日本遺産物語とは

地域は、与えられた固有の地形のもとで、さまざまな工夫をしながら、それぞれの歴史を歩んできた。似た条件のもとに、共通の歴史を歩んできた都市もある。その典型ともいえる例が、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」である。

明治の日本が最初に取り組んだ事業の一つは、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることであった。このため、国家プロジェクトにより、日本を取り囲む4つの天然の良港が選ばれ、ここに軍港が築かれた。これが、鎮守府である。

明治17年(1884年)、横須賀に最初の鎮守府が置かれて以降、明治22年に呉と佐世保、さらに34年に舞鶴に鎮守府が開庁した。島国日本の周辺海域を4分割して管轄する海の防衛体制の確立である。 

鎮守府4市が、それぞれの地に選ばれた背景には共通の地政学があった。先ずは軍港に適した深い入り江と水深、周囲を山に囲まれた天然の要塞ともいうべき地形である。こうした地に建設された軍港は、短期間のうちに水道施設や港湾、鉄道、トンネル、橋梁、通信施設などの共通の都市インフラが整備された。要塞としての砲台などの防衛施設はもとより、鎮守府庁舎、司令長官官舎などが整備され、都市が築かれた。 

鎮守府では、何よりも近代工業の先端となる海軍工廠を拠点とした産業・技術とこれらを支えた人材の育成が急務であった。とりわれ優秀な人材を育てることが重視され、職工教習所や技手養成所は、鎮守府が最も力を入れた事業である。人こそが国家の礎となるという明治政府の強い想いもあった。 

同時に、膨大な数の人口を養う都市整備も急務であった。短期間のうちに整備された都市はどこも共通項があった。その都市計画は鎮守府建設の歴史とともに進化し、最後の鎮守府・舞鶴では、碁盤目状の京の都を模した素晴らしい都市が建設された。 

これら鎮守府の建設は、共通の文化も生み出した。その最大のシンボルは、日本の洋食文化のはしりとなったカレーやビーフシチュー、肉じゃがなどの海軍食文化である。鎮守府は、こうした明治の洋風化の先鞭ともなったのである。因みに、この「海軍食文化」は、R3年度の文化庁100年フードにも認定されている。
 

かつて横須賀は日本有数の観光地であった

鎮守府4市は、当時、日本の先端地域であったがゆえに、他の多くの地域からも注目された。最初に鎮守府が置かれた横須賀は、「かつて横須賀は日本有数の観光地であった」と言われるほどに注目を集めた。この一文は、平成26年末に制定された横須賀市観光立市推進基本条例の前文にも引用された。自らの地を「観光地」と思う市民は少数派であり、驚きの声で迎えられた。 

横須賀が観光地のように賑わったのは、幕末の慶応元年(1865年)、この地に横須賀製鉄所が開かれた時のことである。当時の近代産業の最先端施設である製鉄所(造船所)を一目見ようとする人々であふれ、この結果、湾口には多くの旅籠が軒をつらね、日本初の観光マップもつくられた。マップには遊覧船が浮かぶ様子が描かれている。いま横須賀で人気の軍港クルーズ船を彷彿とさせる。 

観光とは地域の「光」を見るという意味だが、その光がまさに横須賀製鉄所であったのである。では、何故、こんな前文が書かれたのか。横須賀は日本初の海軍鎮守府として発展し、戦後は自動車産業や造船・機械など製造業中心の産業都市として発展してきた。このため、長い間、「観光」という産業は根付くことがなかった。しかし、人口減少と相次ぐ製造業の撤退、基幹産業の停滞が続き、新たな産業振興が強く求められていた。それが、地域の新たな産業を誘発し、地域を活性化させる観光であった。 

横須賀港一覧絵図より(明治12年官許、刊行)

この条例に基づき、横須賀市観光立市基本計画とアクションプログラムが策定され、また2018年2月には、上地新市長のもとに「横須賀再興プラン」が制定され、横須賀は観光に大きく舵をきった。特に日本遺産に認定された都市の歴史を生かすために、軍港クルーズや猿島(国史跡)の観光活用が進められた。猿島で2019年に『ONE PIECE』とコラボして開催された「宴島2019真夏のモンキー・D・ルフィ島」のイベントなどを皮切りに、世界に5つしかない赤煉瓦ドックのひとつ浦賀ドックの活用や、千代ケ崎砲台(国史跡)の整備、汐入のヴェルニー公園にオーブンしたティボディエ邸や本格イタリアンレストラン「AMALFI Marina Blu」などの話題の施設が次々とオープンした。

猿島に続き千代ケ崎砲台跡(国史跡)の公開も進む


さらに東京湾に浮かぶ人工の要塞島・第二海堡では、軍港クルーズや猿島航路などを運行する(株)トライアングルが、上陸ツアーとともにヘリコプターによる東京湾回遊の試みも進めている。これらは、「横須賀再興プラン」に基づく市内の日本遺産構成資産などをめぐる「ルートミュージアム」構想の一環でもある。


それぞれの都市の個性と共通項を活かす

4つの鎮守府都市は、その歴史的背景から共通性が強い。しかし、戦後から80年近くが経過したいま、それぞれ独自の個性的な発展を遂げている。 

呉市は、瀬戸内海という周囲を閉ざされた固有の立地条件の下で、東洋一の工場と言われた呉海軍工廠を中心に発達してきた。戦艦大和を建造したドック(現ジャパンマリンユナイテッド)、日新製鋼(現日本製鉄)などの大企業が集積し、工業都市としての地歩を築いてきた。そのシンボルとも言えるのが当時のまま残る旧呉鎮守府、司令長官官舎(現海上自衛隊地方総監部第一庁舎)や大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)である。

写真4 呉観光の拠点大和ミュージアム(戦艦大和の模型)

大和ミュージアムは、2005年の開館以来、コロナ前には年間100万人の入館者で、呉市の観光の拠点となってきた。そのミュージアムにも展示されているが、鎮守府が残した遺産は、その高い技術力から今日のさまざまな産業・技術に生きている。各種蒸気タービンやマイクロメーターなどの精密計測技術、船の省エネ航行技術など実に多岐にわたる産業分野で活用されている。これらの遺産は、重厚長大分野に限らず、例えば海軍士官が愛した清酒(千福)や工廠冶金部のメッキ技術から生まれた万年筆(セーラー万年筆)、海軍時代からのカレーや肉じゃが、珈琲、料亭などの食文化、西洋音楽やファッションなど、今日の身近な暮らし文化にも色濃く受け継がれている。

他方、呉鎮守府と同じ年に、南方の守りを託された佐世保では、呉と同じく造船業(佐世保重工業)などを核に、長崎市に次ぐ県内第二の都市として発展してきた。鎮守府立地の決め手ともなった深い入り江の周辺は、西海国立公園に指定された九十九島や日本最大級のテーマパーク、ハウステンボスなどがあり、外航クルーズ船の寄港などで賑わい、4都市の中ではもっとも観光で成功している都市とも言える。

佐世保鎮守府時代のシンボルとしては、針尾送信所凱旋記念館などがある。針尾送信所は、巨大な3本のコンクリート製の電波塔である。それぞれの高さは135m前後あり、遠くからもその姿が俯瞰できる。送信塔は、太平洋戦争開戦の信号「ニイタカヤマノボレ1208」を送信した電波塔として有名だが、実際には呉通信隊が送信したものを受信して再発信したものと言われている。

針尾無線塔(佐世保市)


鎮守府としては最後に設置された舞鶴鎮守府は、日本海の守りを託された。その舞鶴には、今も12棟の巨大な赤煉瓦倉庫群が残り、うち8棟は重要文化財に指定されている。1号棟は赤煉瓦博物館、2号棟はホールなどがある舞鶴市政記念館、3号棟は「舞鶴知恵蔵」としてショップやギャラリー、4号棟はコンベンションやギャラリー、そして最大規模の5号棟は成人式なども行う巨大なイベントホールになっている。これらは、「赤煉瓦パーク」として平成24年(2012年)に、市の観光交流施設としてオープンして以来、舞鶴観光の大きな拠点となっている。

赤煉瓦パーク(舞鶴)


舞鶴市では現在、これら倉庫群のさらなる活用を進めるため、公園PFI(民間資金を活用した新たな整備・管理手法「Park-PFI」)の手法により、赤煉瓦パーク全体の再開発に乗り出している。重要文化財である6号から8号棟(文部科学省所管)の倉庫を新たなミュージアム等として活用するほか、海に面した現在の赤煉瓦1号棟(博物館)前の広場と海側動線の確保、背後にある眺望の素晴らしい文庫山施設のリニューアルなど、エリアの一体的な運営を目指している。


おわりに(新たな活用方法の模索)

4市の地域個性は、それぞれの都市の立地や鎮守府時代からの歴史が強く反映されている。4市では1950年の「平和転換法(旧軍港市転換法)」以来、軍港都市から平和都市への転換と新たな産業創造などの面で、緊密な連携を図ってきた。その意味では日本遺産に認定されるはるか昔からの兄弟都市であった。

こうした歴史を踏まえ、日本遺産活用の活動においても、他の事例にはない大きな特色がみられる。例えば4市にある信用金庫が連携した新たな産業創造のバックアップ支援や、各都市のガイドが互いに他都市の歴史を学ぶガイド交流、各都市に立地する高等専門学校や大学の理工系学部の先生方による共同研究などである。大学等連携では、「理系で読み解く日本遺産」という学術交流会が開かれており、今年3月も佐世保市の凱旋記念館で開催された。

第3回鎮守府4市学術交流会(佐世保凱旋記念館)

4市のポテンシャルは誠に高い。しかし、これからのインバウンド観光を考えると、4つの湾の外側に広がる自然や島嶼部の歴史と魅力を活かすことが大きな課題であろう。湾内に都市を展開してきた4市だが、その外側に広がるエリアは実は鎮守府誘致の大きな原動力になったと思われる。

例えば、呉湾の外側に拡がる音戸から倉橋島は、平清盛の時代から遣唐使船の建造などを行った地域であり、また下蒲刈は朝鮮通信使の最も代表的な寄港地である。さらにその外側の御手洗も近世広島藩の最先端基地であり、北前船の寄港地として重要伝統的建造物群にも指定されている。鎮守府という一つの時代には前史があり、これらを生み出した豊かな海が広がる。その立地や歴史のポテンシャルを創造的に活かすことが、4市のこれからの大きな可能性を拓くものと言えよう。

ライター
丁野 朗

ちょうの あきら

公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問、元東洋大学大学院国際観光学部客員教授、文化庁日本遺産審査評価委員
 

マーケティング・環境政策のシンクタンクを経て、1989年(財)余暇開発センター移籍。「ハッピーマンデー制度」や「いい夫婦の日」の提唱、産業観光などの地域活性化事業に携わる。2002年(財)日本生産性本部、2008年(公社)日本観光振興協会常務理事総合研究所長を経て、2017年よりANA総合研究所シニアアドバイザー、2020年より日本観光振興協会総合研究所顧問に就任。 観光庁、経済産業省、スポーツ庁、文化庁などの関係省庁委員や栗原市、呉市(顧問)、横須賀市、小田原市、舞鶴市、越谷市、益田市など各地の観光アドバイザーなどを務める。他に日本商工会議所観光専門委員会学識委員、全国産業観光推進協議会副会長、全国近代化遺産活用連絡協議会顧問なども務める。

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