特別寄稿 丁野 朗 氏 【後編】

日本遺産物語をどう活かすか

公益社団法人日本観光振興協会総合研究所・顧問 丁野 朗氏による特別寄稿

石工が切り出した採掘現場(栃木県宇都宮市大谷)

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どんな地域にも独自の歴史、文化があり、それに関連した産業が発展してきました。それら地域の物語、即ち“ストーリー”を文化庁が認定した「日本遺産」をご存じでしょうか?「日本遺産(Japan Heritage)」は、2022年12月末時点で全国104の地域ストーリーが認定されています。 自分の育った地域の「光」を改めて認識し、自分たちの誇りとして次世代へ伝え、その場所に住む人だけでなく国内外問わず訪れる旅行者にも語ってほしい。そんな思いから生まれたのが、“地域ストーリー”としての「日本遺産」です。 文化観光の分野で日本遺産の設立や日本文化の継承と発展に長年携わり、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所の顧問でもある丁野 朗(ちょうの あきら)氏による特別寄稿前編「日本遺産物語とその視点」に続く後編。認定された日本遺産をどう活かすかを考えます。

文化資源(日本遺産)を活かす取組の考え方

日本遺産では、これらを認定・審査する認定審査委員会を設置している。主に日本遺産を活用した地域活性化のための方策などを検討し、個々の地域に活動の指針を提案するといった役割である。 

この委員会が最も重視しているのがもののひとつが「物語の見える化」、つまり「物語を伝える仕組み」 の整備である。

物語に興味を抱き、遠方から訪ねて来る人々は、頭の中に「物語」をイメージしながら現地を訪ねてくる。近年は、欧米からの観光客の姿も増えている。その際、大切なことは、訪問客が物語を知り、頭の中でイメージした通りの景観が拡がり、現地では物語を感じ・体験できるような仕組みやガイダ ンス施設等が整備されているかどうかである。これらが欠けていれば、訪問客は大いに落胆し、2度とその地を訪ねて来ることはないだろう。

例えば、昨年認定された「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」には、鬼ノ城と呼ばれる古代山城や巨大墓に立ち並ぶ巨石などの遺跡が現存する。吉備津彦命が 温羅と呼ばれた鬼を退治する伝説の舞台となった古代山城は、温羅の居城とされ、巨石は命の楯とな ったとされる。この戦いに勝利した吉備津彦命は、その後巨大神殿に祀られ、敗れた温羅の首はその 側に埋められたと伝えられている。

鬼ノ城(総社市ホームページより)

桃太郎伝説の原型となった物語は、視覚化しやすく、また、それらを想像させる空間がよく整備されている。来訪者は、桃太郎の物語を容易に体感することができるであろう。こうした環境整備とともに、現地までの二次交通手段や、現地でのガイド(インタープリター)の体制などが整えば、新たな観光地としても大きな期待ができる。

大切なことは、こうした直接的な環境整備や仕組みづくりにとどまらず、それぞれの地域が、地域 活性化のための中長期的なビジョンや基本戦略をきちんと持っていることが重要である。基本戦略は、 地域づくりの方向性であり、それに基づいた事業化の方針が明確であることが求められる。その上で、 物語に共感する顧客層はどんな人々なのか、といったマーケティング戦略が重要になる。

これらの事業を推進するための組織体制や、実際の活動を担う人材の発掘や育成も不可欠である。 どんなに立派なビジョンや戦略を描いても、これらを現場でマネージメントし、事業を担うプレイヤ ーたちがいなければ、絵にかいた餅である。

観光面では、ストーリーが体験できるモデルルートや、ルートに沿ったガイド、情報センター(日本遺産センターなど)の設営や、テーマに沿ったブランド産品の開発など、関連産業の創出が重要と なる。もちろん、これらの事業化を成功に導くためには、戦略的な情報発信、顧客に直に伝わるWEBやSNSなどの媒体を通じた情報発信が重要となる。

忘れてはならないのが、地元の人々がこれらの物語と、地域の歴史・文化をよく理解し、地域に誇 りをもつことである。地域の皆さんが誇りをもち、実際に外部からこられる方々にそのことが伝えら れなければ、観光地域づくりにもつながらない。

日本遺産の可能性をどう拡げるか

日本遺産には多様な物語があり、それぞれ地域ごとに大きな特色・個性がある。それが日本遺産の 魅力でもある。しかし、地域によっては、観光に繋がりやすい処もあれば、そうでない地域もある。 古くから観光に取組んできた地域では、日本遺産物語は新たな地域ブランド構築のさらなるチャンス となる。同時に、文化財そのものの体系的な活用計画も不可欠であり、「歴史文化基本構想※1や、これらのアクションプログラムとも言うべき「文化財保存活用地域計画※2の策定等を通 じて、文化の深みを活かした、新たな観光への取組みが期待される。 日本遺産第1号となった「海と都を繋ぐ若狭の往来文化遺産群~御食国若狭と鯖街道~」(2015年認定)の福井県小浜市では、一昨年から着手した「地域計画」における5つの関連文化財群の 一つに「鯖街道」を位置付けるとともに、他の4つのゾーンの文化財群の計画的な活用に乗り出している。

※1 歴史文化基本構想は2007年の文化審議会文化財分科会企画調査会が提唱。「文化財を核 として、地域全体を歴史・文化の観点からとらえ、各種施設を統合して歴史・文化を生か した地域づくりを行っていくための地方公共団体の計画」と位置づけられている。

※2 2019年の文化財保護法の改正に基づき、「文化財保存活用地域計画等を活用した観光拠 点づくり事業」をスタート。2022年12月現在、全国で96か所が認定されている。

重要伝統的建造物群の町並み(小浜西組)小浜市
小浜市文化財保存活用地域計画概要版表紙

他方、観光地として弱い地域では、必ずしも観光だけに出口を求めるのではなく、日本遺産ブラ ンドを活かした多様な取組みが可能である。日本遺産の認定を機に、ストーリーに結びつけた、新たな産業創出やブランド品の開発につなげることもできる。

珠玉と歩む物語小松 ~時の流れの中で磨き上げた石の文化~」(2016年認定)の舞台となっ た石川県小松市では、有名な那谷寺や菩薩、滝ケ原地区の碧玉を使った八日市地方遺跡での管玉づく りがルーツである。これらの石の文化は、近世以降、「ジャパンククタニ」と呼ばれる九谷焼の陶石 加工技術や鉱山技術などに受け継がれてきた。管玉を製造していた、JR小松駅周辺の八日市地方遺 跡は、鉱山をルーツとし、今や世界的な機械メーカーとなったコマツ本社(コマツの杜)発祥の地で ある。近隣に2013年末にオープンした「サイエンスヒルズこまつ」は、未来科学をテーマとして いるが、まさに2千年の時を超えて、同じ地層に産業技術が息づいている。 2019年5月、かつての九谷陶石の加工場をリニューアルした「九谷セラミックラボラトリーズ (CERABO KUTANI)」がオープンした。

CERABO KUTANI(石川県小松市)

隈研吾氏設計のユニークな建物は、 若手作家や異業種の人々による新たな産業創造拠点として蘇った。この施設では、地域の九谷焼、織 物産業、食、酒などの多様な事業者による事業創造のためのワークショップ拠点となった。2021 年からは各事業所の「オープンファクトリー」である「GEMBAプロジェクト」も始まった。まさ に「石の文化」という日本遺産ブランドが、新たな地域の産業創造に繋がっている。

GEMBAものづくりエキスポ2022

同じ石の文化だが、栃木県宇都宮市大谷地区の「地下迷宮の秘密を探る旅」(2018年認定)の 事例も面白い。日本遺産認定とともに、日本最古の磨崖仏とされる大谷観音や地下100mの採掘場 跡、天井と壁・柱で構成された地下30mの巨大な石切空間などの圧倒的景観が特徴的である。

地下空洞は、年間平均気温10~13℃という安定的な「冷熱資源」でもある。宇都宮周辺は関東 の物流拠点の一つで保冷倉庫も多い。この冷熱源としてこの地下空洞の冷気を活用しようという構想 である。すでに地下空洞近くの農園では、夏に収穫できる「夏苺」の栽培を始めた。もともと苺のブ ランド化に成功している栃木県だが、端境期の夏苺はとても人気が高い。こうしたブランド育成も日 本遺産の活用事業として、今後、大いに参考になる。

石工が切り出した採掘現場(栃木県宇都宮市大谷)

日本遺産は、文化財を活用した地域のブランディング事業である。ツーリズムなど観光面での活用 はもとよりだが、地域の特性や強みをきちんと評価し、農業や産業づくり、快適なまちづくりなど、 しっかりとした未来の地域づくりのビジョンと戦略をもった取組みにつなげていって欲しい。

ライター
丁野 朗

ちょうの あきら 

公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問、元東洋大学大学院国際観光学部客員教授、文化庁日本遺産審査評価委員
 

マーケティング・環境政策のシンクタンクを経て、1989年(財)余暇開発センター移籍。「ハッピーマンデー制度」や「いい夫婦の日」の提唱、産業観光などの地域活性化事業に携わる。2002年(財)日本生産性本部、2008年(公社)日本観光振興協会常務理事総合研究所長を経て、2017年よりANA総合研究所シニアアドバイザー、2020年より日本観光振興協会総合研究所顧問に就任。 観光庁、経済産業省、スポーツ庁、文化庁などの関係省庁委員や栗原市、呉市(顧問)、横須賀市、小田原市、舞鶴市、越谷市、益田市など各地の観光アドバイザーなどを務める。他に日本商工会議所観光専門委員会学識委員、全国産業観光推進協議会副会長、全国近代化遺産活用連絡協議会顧問なども務める。

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