特別寄稿 丁野 朗 氏

中世都市 益田の物語

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自分の育った地域の歴史、文化を改めて認識し、自分たちの誇りとして次世代へ伝え、その場所に住む人だけでなく国内外問わず人々を旅に誘うことを目的とした、文化庁の「日本遺産」。 2024年1月末時点で全国104の地域ストーリーが認定されていますが、「時代」という切り口からストーリーが組み立てられたものも数多くあります。 文化観光の分野で日本遺産の設立や日本文化の継承と発展に長年携わり、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所の顧問でもある丁野 朗(ちょうの あきら)氏による連載寄稿・第7弾。

全国の日本遺産物語を、その時代区分から見ると、最も古い旧石器時代の「星降る中部高地の縄文世界~数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅~」(長野県・山梨県)から、最新の大正時代の「やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」(大分県中津市・玖珠町)」まである。104の日本遺産は誠にバラエティーに富んでいる。時代区分は、必ずしも一つの時代という訳ではなく、複数の時代に跨るものの、最も多いのは近世江戸時代である。

その中には「中世」を主テーマにした物語も少なくない。「中世」は、私たちの感覚から言うと一番なじみが薄く、また理解が難しい時代でもある。また、「中世」という言い方は、もともとは西洋史の時代区分のひとつであり、これを日本に当てはめたのは、明治以降の近代歴史学である。この時代区分にも、さまざまな議論はあるが、日本では、概ね、鎌倉幕府の成立(1185年)から室町幕府の滅亡(1573年)、すなわち鎌倉時代と室町時代(戦国時代まで含む)を合わせたおよそ4世紀の期間を指すのが一般的とされる。

その中で、タイトルそのものに「中世」の文字を用いた事例もいくつかみられる。例えば、「尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市」(広島県尾道市)をはじめ、「400年の歴史の扉を開ける旅~石から読み解く中世・近世のまちづくり越前・福井~」(福井県福井市・勝山市)、「旅引付と室町二枚の絵図が伝えるまち~中世日根荘の風景~」(大阪府泉佐野市)、「中世に出逢えるまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~」(大阪府河内長野市)、「中世日本の傑作 益田を味わう~地方の時代に輝き再び~」(島根県益田市)などである。もちろん、タイトルに中世の用語こそないが、「いざ、鎌倉~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」のように、中世を舞台とした物語は他にもたくさんある。

本稿は、こうした物語の中から、中世を主にした「中世日本の傑作 益田を味わう」の島根県益田市の物語を紹介したい。

中世益田の町並みとその魅力

その益田市のまち中に入って最初に感じるのは、直線的で画一な現在の都市と比べると、山や川など自然地形に沿った緩やかな町割りが多いことである。その町割りは。誠に魅力的かつ不思議である。まち中の角を二つ曲がると元の地点に戻り、三つ曲がるとまるで違う地点に行ってしまう。その秘密とは何なのか。

益田の地名のもとになった益田氏の本姓は藤原。その歴史は、初代国兼が石見国府として赴任した永久2年(1114年)に遡る。南北朝の動乱期、11代兼見は益田平野の支配権を確立し、居城・七尾城を構え、東西に土塁、周囲を堀で囲む大規模な居館(三宅御土居)を築いて中世益田の城下町が形成された。

※ 益田市では七尾城を中心に、今年11月16日~17日にかけて、「全国山城サミット」が開催される。山城サミットは、山城が存在する全国の市町村及び関係団体が、情報交換等を通じて親睦と交流を深め、山城の保存方法や観光資源としての活用・地域活性化を図り、豊かなまちづくりを進めていくことを目的としている。平成6年の兵庫県和田山町(現在の朝来市)の竹田城から発端である。

また、戦国戦乱のさなか、長門国見島(現萩市)や博多湾沿いに海洋貿易の拠点を設け、国内はもとより朝鮮、中国、ベトナムなどとの国際交易を行う海洋領主としても成長していった。

中世山城・七尾城から眺める益田市のまちなみ。日本海にそそぐ益田川・高津川などが臨める

しかし、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで、臣従していた毛利氏が敗れると、益田氏も益田から長門国須佐(現萩市)に国替えとなり、三宅御土居や七尾城は廃絶、益田は津和野藩と浜田藩の領有となった。その後、近世城下町は再建されることなく中世の町並みを残し、そのまま終焉を迎えた。

多くの都市では、近世城下町の建設が、それまでの中世の町割りを上書きし、その面影が消えていった。しかし、上に述べたように、益田氏の国替えにより、近世城下町として再開発されることなく、中世の町並みがそのまま残った。これが中世が残る稀有な街、益田の背景である。

中世湊(中州東原遺跡)が広がる高津川・益田川河口  

その益田の景観や文化のストーリーが2019年の日本遺産に認定された。タイトルは「中世日本の傑作益田を味わう」である。その物語とともに、私は、サブタイトル「地方の時代に輝き再び」に注目している。益田市は本州の西端部に位置する人口5万人足らずの小都市である。益田市を始めとする石見地域は、山陰本線はあるものの、高速道路体系がまだ未整備であり、交通の便は芳しくない。近くには萩・石見空港があるが、東京とは1日2便と少ない。
「地方の時代に輝き再び」というサブタイトルは、今は鄙となった地方都市が誇りを取り戻し、大都市にはない資源を活かした地域の再生に込める強い思いの表現でもある。

地方にこそ多い文化的蓄積

地域の往時の繁栄は、地域に残された文化的蓄積(文化財等)でよくわかる。都道府県別の指定文化財数は、実は東京などではなく、地方都市に数多くある。因みに指定文化財には有形・無形の文化財、民俗文化財、記念物その他の分類があるが、私たちが一番目にしやすいのは、有形文化財、とりわけ建造物である。

その有形文化財建造物の数(棟数)が最も多いのは京都や奈良などの古都と思われるかもしれないが、そうではない。最も多いのは長崎県612棟、京都府329棟、奈良県215棟であり、東京の76棟を大きく上回っている。また無形文化財の美術工芸品でも、栃木県の612件に対して京都府275件、奈良県260件、京273件である(都道府県別指定等文化財件数」令和3年5月1日、文化庁)。

人口や経済、交通、情報(メディア)など、その殆どの指標で大都市への一極集中が進む中、文化財や文化資源は、地方が優位である。その文化資源を活かすことが、「地方の時代に輝き再び」を実現する一つの有力な方法であろう。経済は効率と画一化をもたらすが、文化は多様性と個性に意味がある。個性的で際立った地域を創造するのは、まさに文化の時代を迎えたといわれる今日の大きな課題でもあろう。

話を益田市に戻そう。益田では日本遺産認定に先立ち、「歴史文化基本構想」及び「文化財保存活用地域計画」を策定している。地域計画では、市域を6つのゾーンに分け、12のストーリーに沿ったまちづくりを進めてきた。
今回の日本遺産物語は、基本構想・地域計画12ストーリーの一部、「益田氏と雪舟が作り上げた中世のまち」「日本海に漕ぎ出した益田の人々」が骨格となっている。 

益田は雪舟終焉の地とされ、中世寺院萬福寺(国指定重要文化財)と崇観寺(医光寺/国指定史跡・名勝)には見事な雪舟庭園が残されている。

中世都市のシンボルの一つ萬福寺(重要文化財、内部の雪舟の庭は国史跡・名勝)
まち中にある医光寺総門(県指定文化財、庭は国史跡・名勝)
萬福寺から眺める雪舟の庭

また日本海に注ぐ高津川益田川沿いには、砂州から発見された中世湊・中須東原遺跡の荷上場跡なども残る。ここは中世博多湊や青森県五所川原の十三湊などと同じ構造をもつ中世湊跡である。

※ 益田川河口左岸の砂丘後背の低湿地に立地する港湾を中心とした遺跡。多くは14世紀から16世紀のものである。
発掘調査では、潟湖の岸に沿って、船着き場と考えられる大規模な礫敷き遺構が、全長約40m、最大幅約10mにわたって存在していたことが確認された。また複数の掘立柱建物や鍛冶炉、鉄滓廃棄場、墓、道路等の遺構が検出されている。

中世の「食」の再現

益田の地域活性化への取組は多岐にわたるが、とりわけ中世の食の再現が面白い。益田氏が戦国大名毛利氏と一時的に関係が悪化した際、「朝鮮半島の虎皮をはじめ莫大な贈り物や、蝦夷地の昆布や数の子、清流高津川の鮎やうるかなどを材料にした豪華な料理を振る舞って自身の力を見せつけたうえで仲直りした」という文書の記載を基に、益田「中世の食」の再現プロジェクトに取り組んできた。

中世という抽象的なイメージを具体化するために、日本遺産の構成文化財や地域の文化、食材、景観など、あらゆる地域資源を活用した体験コンテンツとしてとりまとめ、中世益田ブランドを確立していくという戦略である。

食については、益田家文書に記された戦国時代の多彩な食材のリストから、これらを丹念に再現する事業を行っている。中世文書には、数多くの食材のリストがあることから、これらを中世の食文化として再現し、これを萬福寺にある雪舟庭園を愛でながら頂くというような、誠に贅沢な食文化を再現した。これは益田を訪ねることがなければ味わうことができない。

益田家文書から再現した中世の多様な食材

また、1602年創業の地元右田酒造では、中世の酒の再現も行っている。古い酒蔵に残る歴史資料を活用した、近世以前の酒の再現である。雪舟の庭を愛でながら、中世の食と酒を味わう。誠に魅力的な事業である。
さらに、中世の食をもっと気軽に味わっていただくために、古文書からの考察を基本にしながら、その魅力を深めるための創作を加えた料理を地元シェフの力を借りて、「戦国益田氏弁当」として販売している。価格は少し高いが、手軽に味わえる中世の味である。

中世文書をもとに、シェフが考案した「戦国益田市弁当」

「食」は重要なテーマだが、中世の益田を「五感で味わう」ためには、さらに多様な体験コンテンツの開発も必要である。中世湊や城館等の景観整備・物見台の整備などの「見える化」も必要である。

私たちには「中世」はなかなか理解しにくい部分も多い。だから、「見える化」は視覚だけでなく、その歴史自体をわかりやすく伝えるビジターセンターのような施設も重要になる。市中心部にあって老朽化で休館となっていた市立歴史民俗資料館(旧美濃郡役所、大正 10(1921)年 5 月竣工)を改修し、令和5(2023)年4月には、ギャラリーや交流室などを併設した益田市立歴史文化交流館(「れきしーな」)も開館した。2023年末には、「中世武士団」展など地域の歴史研究で得られた成果なども一斉に公開されている。

新たに改修・開館した益田市立歴史文化交流館(「れきしーな」)(益田市ホームページより)

こうした取り組みは、他所からくる観光客向けに必要な事業ではあるが、同時に地域の人々にむけた事業でもある。地元の方々が地域の歴史を知り、誇りに思い、そこから地域づくりに積極的に参加するようになることが、本当の意味での地域活性化でもある。こうした「担い手」の育成は、どの地域でも待ったなしの課題だが、益田市では「益田市ひとづくり協働構想」を策定し、(1) 未 来の担い手づくり、(2) 産業の担い手づくり、(3) 地域の担い手づくりの3つの切り口から人材育成には特に力を注いでいる。

まちの資源を活かす市民塾

こうした担い手づくりの一環として、令和3(2021)年1月からは、日本遺産の活用と観光振興を目的とした「益田市観光未来塾」が開校し、筆者も参加させて頂いている。市内の事業者や多様な地域活動に携わる方々が参加した起業塾である。「中世」をテーマとした新しい事業創造を目指すという狙いもある。

各年度の事業構想の発表では、中世湊のある河川での遊覧船やカヤックなどの川遊び、日本遺産を巡るサイクルツーリズムプログラムやナビゲーターによるガイド、乗馬クラブを利用した鎧・甲冑を着けた屋外騎乗やスポーツ流鏑馬の体験などを通じた観光交流である。中には「食」に対応する中世の「音」の再現など、誠に夢の広がるプランが示された。

益田湊の海岸での甲冑を着た乗馬体験(さんさんクラブホームページより)
昭和の初めに益田市美都町にいた柴犬のルーツ、石州犬「石号」(益田市ホームページより)


また、日本海に面した持石海岸などでは、塾生による古民家再生や新たなレストラン付コテージなどの活用も進んでいる。彼らの中には、この日本海の美しさに惚れ込んで移住してきた方々も少なくない。海岸線や益田川・高津川の日本の河川は、中世益田氏の時代から「選ばれた場所」でもあり、こうしたことも内外の方々には魅力に映っているものと思われる。

さらには、日本遺産物語とは直接の関係はないが、益田市が発祥と言われる「柴犬」を活用したプロジェクトも注目される。柴犬は秋田犬などと同じく、国内外のファンが多く、交流のための資源としてはとても有望である。東京でブリーダーをしていた地元出身の若い塾生が、地域協力隊(観光協会所属)としてUターンで地元にもどり、受入のためのドックランやペットと泊まれる宿泊施設の開拓などに力を入れている。

これらの事業コンテンツが生きるためには、活用のためのマネージメント体制の構築が不可欠である。地元観光協会のDMO化などの対応も進んでいる。同時に域内二次交通の仕組みや情報プラットフォーム、対外プロモーションの強化なども不可欠である。

※ 全ての柴犬のルーツになったのが益田市美都町出身の日本犬。「石州犬」という品種で、昭和20年頃まで現地に生息していた。石州犬は人に忠実で強健。この石号も1936年に犬の血統を残すため東京に移されるまで、地元で元気に走り回っていたという。

「中世」に拘る益田の取組は誠に面白い。今後は、来訪者にも理解しやすいまち並みや中世湊の可視化、広大なエリアの二次交通、中世都市の語り部の養成など、課題は少なくない。

ストーリーは分かりやすくかつ体感できることが必須である。益田の今後の取組に注目したい。

ライター
丁野 朗

ちょうの あきら

観光未来プランナー、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問、元東洋大学大学院国際観光学部客員教授、文化庁日本遺産審査評価委員

 

マーケティング・環境政策のシンクタンクを経て、1989年(財)余暇開発センター移籍。「ハッピーマンデー制度」や「いい夫婦の日」の提唱、産業観光などの地域活性化事業に携わる。2002年(財)日本生産性本部、2008年(公社)日本観光振興協会常務理事総合研究所長を経て、2017年よりANA総合研究所シニアアドバイザー、2020年より日本観光振興協会総合研究所顧問に就任。 観光庁、経済産業省、スポーツ庁、文化庁などの関係省庁委員や栗原市、呉市(顧問)、横須賀市、小田原市、舞鶴市、越谷市、益田市など各地の観光アドバイザーなどを務める。他に日本商工会議所観光専門委員会学識委員、全国産業観光推進協議会副会長、全国近代化遺産活用連絡協議会顧問なども務める。

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